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あとがき
 聖書は永遠の神のみことばであって、あらゆる時代に対して、常に新しい力をもって語り、救いのための知恵を人々に与えようとしている。新改訳聖書は、今の時代の人々のために、この神のことばである聖書を、正確に、わかりやすく翻訳しようとして企画された。そしてまず新約聖書が、今ここに刊行されることになった。
 原語にあくまでも忠実であり、最も読みやすく、しかも聖書としての品位を失わない翻訳を成し遂げることが、翻訳編集に携わった者の一致した願いであった。
 翻訳にあたっては、主としてネストレの校訂本二四版を使用した。
 どの翻訳についても言えることであろうが、私たちは、聖書翻訳の古い歴史の中で教会が私たちに残してくれた遺産に負うところが非常に多い。いな、むしろ、この翻訳もその伝統の上にあって初めて可能であったと言わなければならない。邦訳聖書について言えば、聖書協会のいわゆる元訳、文語改訳、口語訳等は、邦訳の歴史に一つの方向づけを与えて来たものと言えよう。私たちは、それらの成果を尊重しつつ、現代のことばで原意を正確に表出しようと努めた。その際、特に文語改訳に共感するところが多かったと思う。またこのことに関連して、英国改訳、あるいは米国標準訳の理解を現代に生かすために訳業が進められている新米国標準訳が、私たちの最も良い参考になったことをも明らかにしておきたい。また、この版では、特に詳細な引照をっけたが、それは新米国標準訳のそれを採用したものである。ここにあえて「新改訳」という名を採ったのも、以上述べたような、先達の業績に負うところが大きいことを認めるからである。
 神がこの新改訳聖書をも、神の栄光のため、また、多くの人々の救いのために、用いてくださるように。
 次に、訳文について幾つかのことを述べたい。
 国語の書き表わし方について言えば、私たちは、当用漢字表、その他の新しい用字用語をできるだけ尊重した。しかし、やむをえないと認めたばあい、この制限の外に出ている用例もないわけではない。またこの上に、注や引照の見出しをっける記号によって妨げられないばあい、すべての漢字にふりがなをつけたのは、聖書ができるだけ多くの人の手に渡り、現実に読まれることを願ったからである。
 また、原文の意味が誤解される恐れのない訳語を用いることは、真の「読みやすさ」にとってたいせつな点であると思う。いちいち訳語について説明することを許されないが、ハデス、ゲヘナについては注もないので、ここで一言説明したい。ギリシヤ語聖書の〈ハデス〉は、従来陰府とか黄泉と訳されて来たが、死者が終末のさばきを待つ間の中間状態で置かれる場所を示すことばである。従来の訳語は他の宗教の教えを混入させて読み込まれているうらみがあるので、ここではギリシヤ語の音訳にとどめることにした。また、ゲヘナも地獄と訳されていたこともあるが、同じような理由でかな書きにした。これは神の究極のさばきによって、罪人が入れられる苦しみの場所をさす。
 章節、文段の表示も、読みやすくするために、邦訳聖書としては新しい方法を採用した。この版では、行が変わることは新しい文段を示すのでなく、新しい節が始まることを示す。文頭の小さな数字がその節の名である。新しい文段は、その数字を一字分下げることによって表示されている。章を示すのは大きな数字であるが、その下の1という小さい数字も通常、文段の始まりを表わす。章節を示すために、一章二節と読まないで、そのまま1の2と読むのもさしつかえないと思われる。私たちの使っている聖書で用いている章節とか文段は、後代になって便宜のためにつけられたのであるから、最近の外国語諸訳に見られるように節をも明示せず、文段ごとにまとめて印刷するのも良い方法であるが、この版のような組み方も、一般の人々の朗読や研究のためには便利であると思う。
 訳文中の記号は、文脈を明らかにするために用いられている。
(  )の中の文は、原文においてその前の文の説明とか注釈である。
―― ――にはさまれた文章は挿入である。
〔  〕の中の文または文段は、幾つかの有力な写本がそれを欠くことを示す。
 原語への忠実さを期するために、本文の解釈に重要な相違がある個所については、最も良いと思われる訳文を本文に入れ、他を欄外注に示した。また、有力な写本相互の間に重要な差異が認められるばあいも、そのことを欄外注に示した。少しでも正しい本文に近づこうとする努力が真剣になされるばあい、このような注はぜひ必要になって来ると思われる。
 欄外注の使い方
 欄外注は、できる限り本文と同じページの下にまとめてある。本文中、注あるいは引照を要するばあいは、その文または語の右肩に、* 1) 2) …という記号がつけてある。
 一 *印は訳文についての注である。欄外の  〈別訳〉は、同じギリシヤ語本文の解釈上種々の相違があるばあい、本文には採らなかった別の訳である。(たとえばロマ九・五)
 〈あるいは〉は、本文の訳と大差はないが、もう一つの訳し方である。
 〈直訳〉は、文字どおりの直訳であって、それが本文に入れられると日本語としての意味が明瞭でなくなるとか、誤解の恐れのあるばあい、注に入れた。
 〈すなわち〉または〈原語〉は、本文の訳語では原意を表わすのにいくぶん不十分であるばあい、別の言い替えをして補ったものと見てよい。
 〈異本〉は、原典に相違があるばあい、そのうちの重要なものを示す。
 〈ギリシヤ語〉〈ヘブル語〉等は、原語の音訳を示す。
 二 引照は、たとえば、本文の訳語または訳文の右肩に1)とつけられた数字を、そのページの下欄の、節を示す数字の下に①とあるのと合わせて、見ればよい。一例を示すと、ルカ二二・五二では、「宮の守衛長」の引照個所は欄外注のり52①を見るとわかるとおり、ルカ二二・四である。さらにその節の欄外注を見ると、もっと多くの引照個所を見つけることができるばあいもある。また、ルカ二二・四〇については、本文の1)を欄外注の①で見ると、ルカ二二・四〇-四六、マタ二六・三六-四六とある。このばあいは四〇-四六の平行個所がマタ二六・三六-四六であることを示す。
 [参][比]と順についているときは、「そこを参照せよ」「そこと比較せよ」という意味である。
奥付